うちの先生は、説明するのにやたら比喩を使う。
最近よく登場するのは「電気釜」である。
修論の文献集めを「電気釜を買うためのカタログ集め」と表現する。
そのカタログに何が書いてあるのか、その商品のウリはなんなのか、どういう作りなのか(IHか、羽釜か、圧力か)、自分がどんなご飯を炊きたいのかによって選別せよという。
そしてそのご飯は、高齢者においしく食べてもらうご飯でなければならない。
それが研究テーマにつながる文献検討の仕方であると。
こんな感じに慣れるのに1年かかった。
それに対して私は「このテーマに関しては、どの先行研究もこの電気釜でご飯を炊いてきています」
「じゃあ、その電気釜で炊いたご飯が一番お年寄りの口に合うと思ってる?」
「いえ、誰の口にでも合うご飯が炊けると思いますが、本当にお年寄りのことを考えて炊くご飯とは違うと思います」
みたいな。
これはまじで真剣なゼミでの会話。
研究計画書の添削にも出てくる電気釜。
先生が書いた
「~と考える」とかもバッサリ切られる。
その文献で明らかになっていることを粛々と書いていくだけである。考えるとか百万年早い。
そして、「ところどころエッセイになってます」と叱られる。
高齢者においしいご飯を炊くため、ベストな電気釜を使う。見つからなければ、構造を理解していちから作る。
それはつまり、高齢者にあった研究をするための視点を理論や文献から得ること。もしくは研究の枠組みを自分で作ることである。
なにがなんだか分からない。
しかし、電気釜を当てはめると理解できる。
(私だけか?)
炊飯器ではだめなのか、疑問が残る。
昔のカタログもよく見なさいということであると理解する。
今日のゼミは最短の30分。
しかも個室ではなく、ロビーで。
いつの間にか高知のコロナ感染者は36人になっている。コンビニの店長の感染も判明した。もうどこにも安全な場所はないと思う。
授業開始は4月20日からの予定。
緊急事態宣言を受けて、そのうち高知でも大学に行けなくなる日も近いと思っている。
学部生の卒論計画書提出日は延期された。グループでやるから集まれないためだ。
大学院生は基本一人でやるから延期にはならないので、15日の締切日は変わらない。
家でやる、もしくは大学でやるとしても14人入れる情報処理室に2~3人までの制限がある。
1週間先が見えないが、
やれるだけのことはやろうと思う。